冠嶽、伝説と由来

冠岳温泉は冠嶽の麓に位置しており、そこには霊験あらたかなお湯が湧き出ています。
その冠岳温泉が恩恵を受ける、霊峰冠嶽やその土地にまつわる伝説などをご紹介致します。

ありがたいお湯に浸かりながら、冠嶽の歴史やその地にまつわる伝説に想いを馳せてみるのも、冠岳温泉の楽しみの一つかもしれません。

冠嶽について

冠嶽冠嶽とは、鹿児島県いちき串木野市と薩摩川内市の境にそびえる歴史ある霊山です。

東西に連なる、東岳、中岳、西岳にはそれぞれ熊野権現を勧請した神社があり、冠岳三所権現と呼ばれております。

また、秦の使者、徐福が訪れたとする伝説や、冠岳と金峰山が喧嘩したという伝説もあります。

近年は九州百名山にも指定され、登山に訪れる人の数も増えました。


山名の由来には諸説あります

  • 西岳が風折烏帽子に似ていることから
  • 西岳が冠に見えることから
  • 徐福が冠を納めたことから

徐福伝説

徐福像中国は秦の時代、徐福(じょふく)という人がいました。

徐福は、はるか東の海に蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛洲(えいしゅう)という三神山があって仙人が住んでいるので不老不死の薬を求めに行きたいと秦の始皇帝に申し出ました。

紆余曲折を経て、なんとか鹿児島の串木野(現在のいちき串木野市)に上陸したと言われています。


冠岳と徐福

冠岳にたどり着いた徐福が自らの冠をとり,ここで封禅(ほうぜん)の儀式を行って冠をここに留めたことから冠岳という名がついたと言われています。

冠岳温泉のすぐ近くには、徐福の故郷中国との友好の願いを込められた庭園「冠嶽園」があります。

冠岳と徐福像 冠嶽園
冠岳と徐福像 冠嶽園

市来という地名

徐福は別名、除市(じょふつ)といい、「除市が来た町」から「市来」という地名がついたという説があります。

また、徐福は中国を出るとき,稲など五穀の種子と金銀・農耕機具・技術(五穀百工)も持って出たと言われます。
そして、薬草を求め徐福が旅した日本各地には、いくつもの徐福伝説が残されています。各地の伝説や、秦の始皇帝との関係など、歴史を注意深く見てみると、もしかすると、徐福は最初から中国へ戻るつもりはなかったかもしれないと、想像してしまいます。

皆さんも、この冠岳の地へ来て、さらなる徐福伝説に触れてみませんか?